幸少剣の旗『施無畏』について
 幸少剣の旗に書かれている 『施無畏』 という言葉は、本教室設立にあわせ、前仙台市剣道連盟理事長で当時本教室の顧問師範をされていた鈴木孝夫先生が揮毫して下さったものであります。

 本教室5周年記念少年剣道大会記念誌等に載せて下さいました鈴木孝夫先生の文章をお借り致しまして、 「施無畏」 という言葉の由来について書かせていただきます。


 「施無畏」 とは、江戸、明治時代を通して学者であり、政治家であり、剣豪である山岡鉄舟高歩先生にまつわる言葉です。
 畏れないことを施すということで、この世の人々からあらゆる恐怖を取り除いてやることで、観音経の中に出てくる言葉だそうです。
 ある日、鉄舟先生の高弟の鳥居得庵という先生が師匠に 「先生、剣道の極意とはどんなことですか。」と問うたところ鉄舟先生は、「浅草の観音様に預けてある。」と答えられたと言います。
 そこで弟子の得庵が早速浅草寺におもむいた所、寺門に 「施無畏」 の扁額が掲げられてあったのが目に付きました。道場に帰った得庵がそれから自分を畏れず、相手を畏れることなく、猛烈に剣道を修行して春風館道場の高弟になったといわれています。
 この言葉は剣道修行者の目標であり、人生の指針として肝に銘じて努力して欲しいものです。
 指導者は、生徒に対し、より高度な技術を身に着けさせることが、相手を畏れないことにつながるでしょう。また剣道を修行する者は、どんなに辛くとも、苦しくても、我慢して剣道の技術を身に着ければ、試合に臨んでも、練習でも、自分を、そして相手をも畏れない強い精神力を身に着けることができるという教えであります。

 
幸町少年剣道教室の目標は、このような高大な理想の基で、行われていることを一人、一人が心に秘めて剣道の修行に努力しなければなりません。
 ちなみに、山岡鉄舟高歩先生は9歳から剣道を始め、17歳で北辰一刀流の千葉周作先生に師事し、後に春風館道場を設立し、無刀流を開祖しました。生涯「剣の道を通して人間の完成をはかった。」といわれています「剣の心を極めなければ、人間も完成されない。」という言葉を残されております。
 「一芸に通ずる者は、万芸に通ず。」という諺がありますが、どんなことでも真剣に努力すれば、誰でも大成できます。やれば出来るのです。

 自分の弱さに負けないで、相手を畏れることなく頑張りましょう。

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